【宇多田ヒカルさんのGoodbye Happinessから学ぶこと感じること】
同級生で最も有名人の宇多田ヒカルさん。
彼女が同い年ということもあり、その生きざまや、楽曲には刺激・影響を、僕もたくさん与えていただいてます。
今回は彼女の楽曲の中でもなぜ「Goodbye Happiness」(グッバイ・ハピネス)のレビューなのか。
彼女の人生と写し合わされたであろうリリックから胸が締め付けられるような切なさを超えた、深い感動を受けたからです。
もうだいぶ前の作品ですが、ずっとこのレビューを書きたかった。やっと書けた。
タワーレコードによると、この楽曲はラブソングであり、歌詞には「過去の自分と和解することで見えてきた今の自分の思い」が書かれているとのこと。
ソース:宇多田ヒカル 『Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.2』
http://tower.jp/article/interview/72075
この曲がリリースされたのは2010年11月。当時彼女は27歳である。
ご存じのとおり、クリエイター、歌手として名を馳せ、世界中にその活動を展開し
両親や自身の離婚や再婚、そして病気に出産。彼女は数々の紆余曲折・波乱万丈な人生を送っている。
この曲はその縮図ではないだろうか。
自身が監督を初挑戦したミュージックビデオでは
「アーティスト”宇多田ヒカル”を演じるのではなく、
人類全てがそうであるように”表現=行為、生き方”という意味で
“宇多田ヒカル”をファンのみんなに見せたい」
という思いが込めて制作されている。
ソース:【CDこの1枚】宇多田ヒカル新曲PVに込められたアンビバレントな少女の心境”.
http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20101113/enn1011131443006-n1.htm
色々な著名な方が既に批評されているがミュージックビデオでは彼女のこれまでのヒット曲を振り返りながらのようなパフォーマンスが展開されているが、反面、大人に成長して無くしていくものをノスタルジックな曲調と歌詞で展開している。
彼女を少しでも知っている方はもちろんのこと、知らない方でも感情移入の出来る作品となっている。
歌詞とともに公式の動画を見ていただこう。
(権利上の問題で歌詞の全文引用はしておりません。部分的に省略されておりますのでご了承ください)
甘いお菓子 消えた跡には
寂しそうな男の子
雲一つ無い summer day
日に焼けた手足 白いワンピースが
汚れようがおかまい無し
無意識の楽園
夢の終わりに待ったは無し
ある日 君の名を知った
So goodbye loneliness
恋の歌 口ずさんで
あなたの瞳に映る私は笑っているわ
So goodbye happiness
何も知らずにはしゃいでた
あの頃へはもう戻れないね
それでもいいの Love me
人は一人になった時に
愛の意味に気づくんだ
過ぎ去りし days
優しい歌を聴かせて
出会った頃の気持ちを今でも覚えてますか?
So goodbye innocence
何も知らずにはしゃいでた
あの頃へはもう戻れないね
君のせいだよ Kiss me
ありのままで生きていけたらいいよね
大事な時 もう一人の私が邪魔をするの
So goodbye happiness
何も知らずにはしゃいでた
あの頃へ戻りたいね baby
そしてもう一度 kiss me
恋人との出会い別れのような主な性質なものをはじめ、人それぞれ過去の自分と見つめ合うことができる。
So Goodbye Loneliness
あんなに大きかった家。母の手にしがみついた日々。
嬉しくて楽しくて、友達と息が切れるまで駆け回った日々。
雪に、海に、山に、新しい食べ物に感動した日々。
たくさんの出会い。たくさんの光。今思えばたくさんの人に見守られながら、それを知らずにはしゃいでいた日々。
So Goodbye Innocence
自分で考え、動ける幸せ。発する言霊が、歌が、思想が形になって、それを社会が運んで行く。
たくさんの喜びを知り、愛を知り、恋を知り、純真を忘れ、寂しさを忘れ、生きることに慣れていく。
それでも良い。刺激に慣れすぎて、初めての喜びは薄れていくけど、こうしてあなたといられるなら幸せ。
So Goodbye Happiness
自分で選んできたことだけど、たくさんの幸せを、大事な人たちを無くしてしまった。
あなたの出会ったころの気持ちも、今の寂しいこの気持ちも、忘れていってしまうし戻ってこない。
優しさにも厳しさに刺激にも人は慣れていく。
そして忘却が無ければ生きていけない。
日々顧みること。とりまく環境は当り前じゃない。
今近くにいてくれる大事な人を、物を、大事にすべきなのではないかという原点に行きつくのであった。